君が飛び立つ瞬間に僕は縋る

おおよそ死にたく無い、という感情がわたしには理解できない。たとえば歩いていて、五メートル進んだ先で死んでしまったら、それはわたしの人生が五メートルしかなかったというだけの話である。神や天国なぞを信じているわけじゃない。そんな甘えなどは考えたことも無い。ただ息をするように、食べ物を、水分を摂取するように、死ぬということはそれらとなんら変わりがないというだけの話だ。だから巨人と対峙して、恐ろしいと感じたことは無い。仲間が喰われて、怒りを覚えても、恐怖を感じたことは無かった。この腕を食い千切られたときも、ただただ怒りだけが爆発した。この体は、髪の毛から足の指まで、所有権はわたしにある。わたしが命令を下して、動かしているわたしの身体なのだ。それをあの巨人は許可も得ず、(無論、許可を乞うたところで承認するはずもないが)勝手に わたしの腕を喰いやがった。許せない。許せない許せない許せない。殺してやる。絶対にぶっ殺してやる。ズタズタにしてやる。出血多量の貧血で意識を飛ばすまで、わたしは修復されないギリギリのタイミングで項の肉を少しずつ剥ぎ取りながら、巨人の全身の肉を剥いでやった。だから目覚めたとき、リヴァイに顔を殴られたのはびっくりした。確かに腕を食い千切られたのはわたしのミスだし、戦力を半分失ってしまったことになるから、説教をくらうだろうとは予想していたが、まさか顔を殴られるとは思わなかった。わたしいちおう女なのに。でも義手をつければまた同じようにものを握れるし、巨人を殺せる。わたしは義手でも前と同じように戦えるであろうと確信していたのだ。
今日だって、たぶんわたしは戦えた。生きて帰ることができたかは、定かでは無いが。仲間が、あんまりにも死にたく無いって顔をするから。巨人が大きく開けた口の少し手前で、もうそんなに接近されてしまえば立体機動で逃げることは不可能であるはずなのに、その瞳はわたしが見てきた中で、一番生きたいと叫んでいた。人間は目の前に死が迫った瞬間、そしてその死から逃れられないと理解した瞬間、なおかつわたしと違って死を恐れている場合に、生きてきた中で一番強く生きたいと感じるのだろうとわたしは後になって気付いた。そのときわたしは思った。死にたく無いと叫ぶ仲間より、よっぽどわたしが死ぬべきではないのかと。わたしだって自殺願望があるわけではない。自ら死を選ぶ愚か者ではないが、この人の代わりに死んでやってもいいかな、と考えるくらいにはお人よしなのだ。ワイヤーを巨人の唇に突き刺し、仲間に体当たりしてわたしが代わりに巨人の口の中に突っ込めば、恐らくこの人は助かる、そう瞬時に理解した。指が、動いた。
その瞬間わたしはなにかものすごい力で横に引っ張られ、あまりの衝撃に一瞬重力を忘れた。そしてすぐにわたしが誰かに抱えられているということと、仲間が一人に巨人に喰われたということに気付いた。仲間の頭が千切れてどこかに吹っ飛んだ。死にたく無いわけじゃないけど、ああやって顔だけどこかに飛ばされて死ぬのは少し嫌だなあと思った。

「撤退命令だ。」

わたしを抱えていたリヴァイが短くそう告げた。5人だったわたしの班は、もう他には誰もいなかった。

壁の中に戻ってきて、調査兵団本部に帰ってくる。軽症ではあるが負傷した足と右腕の義手のメンテナンスを行おうとしたところで、リヴァイに捕まった。義手のほうの腕を強く引っ張られて、どこかへ連行される。あれ、またわたしなにか怒らせるようなミスしちゃったのかな。医務室は救護班が総出で帰還した調査兵団の手当に駆り出されているせいで無人だった。ベッドに座らされて、そしてまた、いつかのように頬を殴られた。しかも前回よりも強い力で。今回壁の外で負った怪我よりこっちのほうが重症だと思いながら、頬をさすってリヴァイを見た。見たら、また殴られた。え、ほんとになんなの。これ以上殴られるのも嫌だったので、今度は殴られた鼻を押さえるだけにして、リヴァイの方を見なかった。白いベッドシーツにわたしの鼻血が垂れる。やばい血、が。シーツの心配をしたところで、今度はガッとリヴァイが両手でわたしの顔を掴んで自分のほうに向かせた。殴ったり無理やり目線を合わせようとしたり、一体こいつは何がしたいのか。だらだらと垂れる鼻血を拭いたかったけど、リヴァイの手があるせいでそれも叶わなかった。小さい手だと思った。

「てめぇ誰の許可を得て死のうとしたんだ。あ?」
「許可って…わたしは、仲間を救おうと思った、それだけ」

結局、みんな死んじゃったけど。死にたく無いと叫びながら、死んでしまったよ。

「俺にはてめぇが自ら死にに行っているように見えた」
「結果的にはそうなるのかもしれない。でもわたしは死にに行ったわけじゃない。なんだろ、代わりに死んであげてもいいかなって、ほんのちょっと思っただけ」
「それを自殺っていうんだよクソが」

それは少し理不尽な解釈じゃあないかな?思ったけど口には出さなかった。

「てめぇの心臓は何に捧げたんだよ」
「調査兵団に。人類のために。」
「違わねえ。ならたとえ仲間のためだろうがなんだうが、その心臓を軽々しく投げ出すのはいただけねえよ。もしあのときテメエが巨人に喰われたとして、助かったもう一人も続けざまに喰われちまうかもしれなかった。結果的に兵団は二人の戦力を失う。てめぇの訳の分からん親切心のせいでな。てめぇ一人なら、生きて帰ってこれるの可能性のほうが高い。そんなこともまともに考えられなかったのかよ。」

そうかな。ほんとうにわたしがあのとき仲間を見捨てるという判断をしたほうが、兵団の失う戦力は少なかったのかな。まあ、結果的にわたしは生きているわけだけど。

「心臓を捧げた時点で、わたしの生はわたしのものではなくなるんだよ。この体はわたしのものだけど、生きているという事実はわたしのものではない。死ににいけと命令されたら、死ななければいけない。心臓を捧げるってそういうことじゃないのかな。」
「分かった。」

珍しく物分りのいいリヴァイだった。一度目を閉じて、そして射抜くようにわたしの瞳を見た。

「ならてめぇの心臓は俺に捧げろ。兵団ではなく、この俺に。」
「なにそれ、規則違反。」
「んなこと知ったことか。おら、もうてめぇの心臓はてめぇのもんじゃねえんだろ?」

たしかに、そうかも。人類に捧げたって、リヴァイに捧げたって、一緒なのかも。ん?あれ、違うかな。でもリヴァイだって人類なわけだし。座学の成績が下から数える方が早かったわたしにはよく理解することも難しいと感じた。でも、人類に捧げるという漠然としたものより、今わたしの目の前にいるこの目つきの悪い男に捧げるといったほうが、現実味があるし実感が湧くと思った。わたしの心臓も、そのほうが報われるんじゃないかと、そう思っただけの話である。

「わかった。リヴァイ、わたしの心臓、あなたに捧げるよ」

拳を心臓の前に。どくん、どくん、と正常にそれが動いているのが分かった。この心臓、あなたに捧げましょう。どうか大事に使ってね。

「ああ、命令だ」

早速きたか。思わず笑ってしまった。

「死ぬな。絶対に、死ぬな。命令だ。俺の許可が下りるまで死ぬことは絶対に許さねぇ」

どくん、どくん。心臓が返事を返したようだった。待ってよ、その命令、少し難しいんだけど。だけどわたしの生の与奪権はわたしのものじゃない。ならばわたしはわたしの所有するこの身体を使って、なんとしてでも生き延びなければならない。頑張らなきゃ。
目を閉じて、少し笑って見せると、わたしの拳にリヴァイの手が重なった。