あなたいつだってわたしの虜

 おやすみ、と数分前に告げたはずの綺麗で晴れやかな笑顔が目の前にある。ヴィクトルは嬉しそうに微笑んだままである。勝生家にお世話になるにあたって、わたしたちの部屋はそれぞれに分かれた。日本にきてからずいぶんその生活を続けていたはずなのに、ここ数日、ヴィクトルは聞き分けのない子供みたいに毎夜、同じベッドに寝るといって聞かないのだ。そんな日々を何日か続けた今日、わたしはついに有無を言わせない笑顔のままのヴィクトルに、彼に用意された部屋まで引きずってこられた。ぽいっ、とベッドに投げられる。続いてヴィクトルの手によってわたしの愛用のスマートフォンもベッドへダイブ。用意周到だ。今夜のお前の寝床はここだと、ヴィクトルは反論を許さない佇まいで部屋の扉を閉めた。

「さ、寝ようか」

 ここにきてからいつの間にか愛用となったモスグリーンの甚平を身につけ、ヴィクトルはいそいそとベッドにもぐりこんできた。わたしはもう何を言う気にもなれず、スマートフォンに充電ケーブルをぶっ差してから横たわった。ぱちん、と部屋の照明が落とされる。左を向いて寝るのが常のわたしの目の前に、それをもちろん把握しているヴィクトルの顔があった。豆電球だけの薄暗い部屋、こんな心もとない照明の下で見るヴィクトルの妖艶な瞳は久々だった。ヴィクトルはそんなことを思案するわたしに気付いたのか、にっ、と先ほどとは意味合いの違う不敵な笑みを覗かせた。何かを言いたそうな顔である。だめだめ、これでは彼の思うつぼだ。わたしはもう寝ます、と言わんばかりに体を反転させ、ヴィクトルに背を向けた。

「可愛いねえ、緊張してる?」
「…いまさらするわけないでしょ」

 ヴィクトルの手がするりと腰に回され、ぐっと引き寄せられる。背中に密着する熱い体。この状況で反応しないほうが無理な話だ。けれどわたしはつとめて冷静を装い、「あんまりくっついたら寝にくいよ」と告げた。ヴィクトルはわざと耳元に唇を寄せ、こちらの脳みそがダメになるような声音で「久しぶりで、ドキドキしてるでしょ」と吹き込んだ。なんって性質の悪い声帯を持ち合わせているのか、ヴィクトル・ニキフォロフ。耳にまでかっと血が昇るのを感じた。
 ヴィクトルの両腕がわたしの胴体に巻きつき、その指先がパジャマの上をいたずらに這った。わき腹、腰骨、太もも、膝の上まで。何かを確かめるように、思い出すように、ヴィクトルの指は妖しい意図を孕んで体の上をはいずり回った。

「…、ヴィクトル、やめて」
「どうして?」
「ここは、…わたしたちの家じゃないでしょ」
「それが理由?」
「そう。それに、明日だって、早いし…っ」

 人が話をしているというのに、ヴィクトルの無遠慮な掌がわたしの乳房を掴んだ。手のひら全体で覆うように、そしてその中でぐにぐにと形を変えるように弄ばれる。指先を引きはがそうと応戦するが、もう一方のヴィクトルの指が今度、ズボンの中に勢いよく突っ込まれた。

「こ、ら!ヴィクトル!」
「しっ、聞こえちゃうよ?」

 思わず後ろに首をひねると、すぐそばにあったヴィクトルのやたら高い鼻先に頬が当たった。べろりと頬を舐められる。そのまま唇に吸いつかれそうになるので、慌てて顔の向きを元に戻し、ヴィクトルの腕の中から逃れようとわずかにもがいた。しかしそうこうしている間にも、ズボンの中で足の付け根を撫でていたヴィクトルの指が、今度下着の上からわたしのそこをとんとんと叩いた。人差し指と中指で恥骨の上を撫で、その奥のわずかな窪みに進む。ぐっ、と優しくない力で押し込まれ、思わず意図しない声が漏れた。気付けばいつの間にヴィクトルの長い脚に左足を絡めとられており、そのとき既に自力で足を閉じることはできなかった。下着の上から中に入り込もうと意思を持つ長い指先に、わたしはこの状況を打開する策を見つけることができなかった。くっ、と爪の先がわずかに中に潜り込む。
 そのとき、ああ、と理解する。ヴィクトルは初めから、わたしがおやすみと部屋に戻ろうとした瞬間には、既にこの状況を作り出すつもりだったのだ。わたしを押し流す気でいたのだろう。そしてわたしはまんまとこの状況に追い込まれたわけである。

「ふふ、熱いね。ねえ、興奮しているんだろ?勇利の家で、俺に好き勝手されて、でも、気持ちよくて、だからこんなにドキドキしているんだろ?」

 そう言ってヴィクトルはわたしの左胸を掴む手に力を込めた。ぐにっ、と強い力で形を無理やりに変えられたのに、それに痛みだけでない快感を見出してしまって、その情けなさには自分でもほとほと呆れてしまった。
 わたしから抵抗の意思を感じなくなったのか、「観念した?」とヴィクトルは、それはそれは嬉しそうに尋ねた。わたしはほんの一瞬、この男を引きはがし、ベッドから抜け出し、この部屋から逃げ出す算段をつけようとした。けれど自分のお尻の上に硬く熱い何かが当たっていることに気付き、ヴィクトルがはふはふと吐き出す熱い吐息を耳元に感じては、もう引き返す気にもなれなかった。そう、これはボランティアである。日々新しい弟子に可能性を感じ、練習に明け暮れるリビングレジェンドへのせめてもの激励だ。わたしはそう自分に言い聞かせて、ヴィクトルの蹂躙に身を任せることを決意した。