ラズベリーモンスター

*パラレル

 おおむかし、それは巨人という絶対的な人類の天敵であり脅威が現れるよりもう少し前のこと。今でこそ言うことの聞かない子供達に聞かせるような与太話と言われてしまうかもしれないが、世界には確かに吸血鬼と呼ばれる生き物がいた。その名の通り、血を生きる糧として生きる恐ろしい生き物だ。見目は人にかなり近しいため、彼らは容易に食糧である人間に近付き、その生き血をすすった。諸説あるが、吸血鬼は気に入った人間を巣に持ち帰り、ゆっくりとその人間が息絶えるまで生き血を飲み干したという。つまり吸血鬼に目を付けられてしまった哀れな人間は、その時点で彼らの家畜へと成り下がるのだ。吸血鬼に比較的に好まれるという新鮮な血を持った若い少女達が行方不明になる事件が勃発して、世間を騒がせたとかなんとか。彼らはめぼしい家畜を見つけると、その人と変わらない頭脳を用いて少女たちを誘拐、そして食したのだ。
さて、わたしがなぜこんなおとぎ話のような吸血鬼の話に詳しいかというと、わたしの一家が代々吸血鬼の研究に深く携わってきた家系であり、昔から様々な吸血鬼に関する書物を読んできたからである。現在は巨人という脅威があまりにも強大すぎて、吸血鬼なんていう生き物ははるか昔に忘れ去られ、その存在自体おとぎ話として扱われているが、世間の人々が知らないだけで、吸血鬼はたしかにその昔、実在したのだ。
いや、訂正しよう。過去形ではなく、いま、まさに実在するのである。

 いつの時代だが、それははっきりしないのだが、あるとき突然吸血鬼と人間のハーフが生まれ落ちた。吸血鬼が食糧である人間に恋をしてしまったのだ。なんとも笑える話ではあるがこれは残された資料から見るに確かな事実である。そんなわけで吸血鬼の血は薄まりはしたが、それらは我々人類の中にも浸透して、今もその血を受け継いだ人間が生まれ落ちている。ハーフのハーフのハーフ、みたいな元来よりかなり薄まった血のせいで、いま現在を生きる吸血鬼の血をひく彼らはかなり人間に近い生態をしており、人間の血を啜らずとも生きてゆけるそうだ。普通の食事をし、元来吸血鬼が苦手とされていた日光だってへでもないし、十字架だって脅威ではない。ただある一定の感覚で本能的に血を求めることがあり、そういった際は輸血用パックの血をこっそり拝借して難を凌いでいるという話を耳にしたことがある。現代を生きる吸血鬼は、其れ相応に順応して我々人類の中でひっそりと生き続けているのだ。
しかしもちろん、吸血鬼なんていう話を端から信じていない人もいれば、その存在自体を知らない人だっている。吸血鬼の血をひくといっても彼らはなんら人と代わりがないので、自らを吸血鬼一族の生き残りだと公にしているものなぞ誰一人としていない。むしろそんなことを言えば畏怖の対象として憚られ、疎ましがられることは目に見えているので、逆に彼らはいかにしてじぶに吸血鬼の血が流れているということを隠し通そうとするものだ。わたしもこの目で吸血鬼の血を目の当たりにするまでは、もちろん吸血鬼なんて生き物の存在はこれっぽっちも信じていなかったし、両親の研究に嫌悪すら抱いていた。今人類はこんな狭い壁の中に閉じ込められていて、いつ巨人に襲われるかもわからない状態だ。吸血鬼なんておとぎ話の存在を研究する両親が正直言うと恥ずかしかった。そんな反発もあって、わたしは訓練兵団を志し、そして卒団後には一番巨人の脅威に晒されると言っても過言ではない調査兵団を志願して、入団した。何度か壁外調査にも行って、生きて帰ってきた。
 そしていま。巨人の脅威をその目で目の当たりにして、更に訓練を積もうと決心したわたしの前に、こいつは突然現れたのである。

 きつく巻いたチューブを外し、針を抜いたことでぷつんと浮き出た血液を一粒拭ってやった。絆創膏を貼ろうとも思ったが、人間の比ではないスピードで治癒されていく彼らの体を考えれば、その処置が不必要であることは簡単に推測された。抜き取った血液を確認しペンを手にしたところで、わたしの手首はぱしんと捕らえられた。

「なに」
「なにって…俺、ご褒美欲しいんですけど」

 はっと息を飲むような、彼の容姿は確かに人間のものではあるが、見るものを惹きつけて離さない何かがあった。そしてその瞳。吸血鬼、またはその血を受け継ぐ吸血鬼のハーフ、研究者の間では半血と呼ばれている彼らは捕食時のみ、その瞳を黄金に変える。どんなに普段人間らしく振舞おうと、一滴でも血を口にした瞬間、彼らの瞳は金色に輝いてしまうのである。しかしこの少年、私の手首をぐっと掴んで離さない彼の瞳は、吸血時でもないくせに月のように輝く金色をしている。
 
 エレン・イェーガーは、自らを『亜種』と名乗った。

「なーにがご褒美だ、このっ、離せっ」
「やですよ、血液検査する代わりに血、くれるんじゃなかったんですか?」
「大体一昨日飲んだでしょうが」
「一昨日!!!そう!!一昨日ですよ!?おれもう渇いて死んじゃいそう!!」
「死ねば」
「やだ!!」

 エレンのような判例は、過去の書籍をいくら読みあさろうとなにひとつとして発見されなかった。『亜種』とはつまり、生まれながらに吸血鬼の血を引き継いだ『半血』とは異なる、成長途中、人工的にその肉体を改造・吸血鬼の血を流し込まれた存在の言うのだという。
エレン・イェーガーは人間だった、数年前までは。彼は実の父親の研究であり、また、その生きた成果なのだ。エレンの父親は、息子を自らの研究の被検体として何らかの注射を投与し、エレンを常人とは全く異なる吸血鬼として生まれ変わらせたのだ。エレンが何故世間でほとんど認知すらされていない吸血鬼の研究を行うわたしを見つけ出したのかは定かではないが、彼はその常人離れした能力を調査兵団という組織でいかんなく発揮し、壁外調査の度に巨人の討伐数を増やしている。吸血鬼は姿かたちこそ人間と変わらないが、その身体能力、繁殖能力は人間の数十倍とも言われており、成人男性でも片手ひとつで簡単にひねり殺せるほどだ。エレンはその能力を持て余していた。この調査兵団で巨人を駆逐する瞬間こそが、吸血行為に次ぐ至福のときなのだという。勿論調査兵団としては、ざっと100人近くの戦闘力を有するエレンの活躍を今後共期待しているのだが、エレンは近年稀に見る図々しい吸血鬼だった。

「ねえーお願いですー、今度の壁外調査も頑張るから~」
「エルヴィン団長に頼んで余分に輸血パック100個くらいもらってきなよ」
「あれあんま美味しくねえんだもん!」
「知るかっ」
「やだ!俺はあんたの血が飲みたい!!欲しいの!!」
「いーやーだー!!」

 時折やってくる吸血鬼の本能に仕方なく従って、こっそり輸血パックを拝借し、こっそり人目を盗んでちゅうちゅうと血を啜る半血とはえらい違うである。エレンはことあるごとに血をくれ血を飲ませろと堂々とせがんでくるのだ。

「とーかこーかんでしょ!?」
「どこでそんな言葉覚えてくんの」
「俺の血あげたんだから、あんたも俺に血をくれるべきだよな?ですよね?」
「わたしは研究用。あんたは食事でしょ!重要度が違うっつーの!」
「一緒ですよ!いや俺の方が重要!」

 残念ながらこの面倒くさい亜種に目をつけられてしまったのがわたしというわけである。冒頭に挙げたように、吸血鬼はむやみやたらに色んな人間に対して吸血行為を行うわけではなく、特に気に入った一人の人間の血を好んで摂取する。このご時勢ほとんどの半血は生きた人間の血など摂取しないというのに、エレンはことあるごとに血をよこせとまるで人にものを頼む態度とは思えない口調で要求するのである。エレンが亜種であろうとなかろうと、本能的に血を欲するのは仕方ない。しかしようは血液を摂取すればいいのであって、それは救急の輸血パックで十分事足りるのだ。初めて吸血されたのは、わたしの注意力散漫というか、エレンの不意打ちというか。以来この(自称)亜種の少年はほとんど毎日のペースで血を要求するのだ。

「大体っ!わたしの血液だって無尽蔵にあるわけじゃないの!あんたに死ぬほど吸われてまじで死にかけるんだからね!?」
「えぇ…貧弱すぎます」
「人間の基準で考えろ!」
「じゃあ~、ちょこーっとだけ?ね?」
「ひ、ん、け、つ、なんです!」
「だから…ちょこっとって言ってるじゃないですか!!」

 研究に使う資料だので溢れてほとんど研究室と貸したわたしの自室のベッド。定期的にエレンの血液を採取して、わたしは調査兵団の中でもほそぼそと両親のあとを継いで研究を続けている。エルヴィンやハンジはそんな研究にも寛大な対応をしてくれて、訓練に差支えがないのなら好きなだけ研究を続けるようにと言ってくれた(ハンジの方は、吸血鬼に対する余計な好奇心と自分の研究のこともあるためだろう)。そんなわけで今日もエレンを自室に呼び出して血液を採取していたわけなのだが、エレンはやっぱり見返りとばかりにわたしの血を強請った。掴まれていた腕を強く引っ張られて、簡単にベッドの上に組み敷かれてしまった。エレンの力に勝てるはずがないことなど、長年の研究を顧みずともわかっていたことである。それでもエレンは一挙一動すべてに力を加えすぎないようにとかなりの注意を払っているらしい。その気になればちょっと腕を引っ張るくらいで、エレンはわたしの肩を脱臼させることなど造作もないことだし、掴んだ腕をそのまま握りつぶすことだって出来るのだ。
 石造りの天井と、にんまりと笑みを浮かべたエレンの顔が視界いっぱいに広がる。エレンがまともに口論することなく力技に持っていくことは常である。こうなってしまえばわたしは研究の見返りとして、その名のとおり我が身を捧げるしかない。観念したようにため息をつくと、エレンは満足そうに金色の瞳をにっと三日月のように細めて舌なめずりをした。ちろりと、明らかに人間のそれより発達した犬歯が覗く。

「えへへ…」
「ちょこっとって言ったからね!?」
「わかってますよ…」

 エレンの声音は急に低い、オスのものに変わった。シャツのボタンを外すまでは丁寧な所作だったのに、急に我慢できなくなったのか、首元を暴くのはかなり乱暴な手つきだった。はあはあ、と息を乱し、僅かに頬を赤らめたエレンはきゅっと目を細める。確かめるように首元の血液の流れをなぞられて、わたしは意を決して唇を強く噛んだ。

「じゃあ…いただきます」

 エレンの唇が落ちてくる。わたしは必死に顔をそらしてまもなく襲ってくるであろう痛みと、そして痛みよりも厄介な感覚に備えた。

 じく、と鋭い牙が肌を突き刺す痛みが走る。そのあとすぐに突き破られた皮膚から血が浮き出るのを感じて、そのままそこを、鎖骨の少し上あたりをぱくりと食べられた。じゅるるる、と血液が吸い出されていく感覚。必死に唇を痛いほど噛んでみても、その隙間から吐き出されたわたしの吐息がエレンの栗色の前髪を揺らした。
 吸血行為の際、吸血鬼は傷口から血を吸い出すのと同時に自らの唾液をそこに送り続けている。吸血鬼から分泌されたその唾液は、毒のように人間の体内に入り込み、脳を溶かすような快楽を与える作用を持っている。これは吸血のときの痛みを和らげ、麻痺させて人間を大人しくさせるためのものなのだと両親の研究書には記載されていた。だからその作用と効果は知識として理解していたつもりだ。けれど自分の身を持ってそれを味わうとは。数年前には考えられない事態である。そして。これがまた結構厄介なのだ。

「うっ、…んんーっ、」

 どんなにやり過ごそうとしたって、直接血管内に送り込まれるその分泌液を拒絶することはできない。おかげで痛みはほとんど感じないが、吸血の最中、このめまいがするほどの快楽に耐えなければいけなかった。我慢できずに片手で口元を覆った。強く目を瞑る。早く終われ早く終われとひたすら祈り続けながら、この少年との食物連鎖では圧倒的に下位にいるわたしはぶるぶると震えることしかできなかった。エレンがにやりと口元を歪めた。本当に根性のひん曲がった少年である。一度口を離したエレンは、上体を起こしてからわたしをじっくりと見下ろして、口元に宛てがわれた手にそっと触れた。

「どうして口塞ぐの?」
「…ふーっ、い、いいから…はやく」
「きもちいんでしょ?」
「え、エレンっ!」

 まるで生き地獄だ。どうせいくら言ったってやめないくせに、更に羞恥を煽られるなんて耐えられなかった。エレンはふふ、と意地の悪そうな笑みを零してから吸血を再開した。さすがに彼も自分の満足するまで吸血を行えばわたしが干からびてしまうことくらいは考慮しているらしく、それから数秒で首元に刺さっていた牙が抜かれた。すっかり弛緩してしまった体をベッドに沈みこませて、ぼんやりとエレンを見上げた。金色の瞳。瞳孔はまるで糸のように細く開いている。エレンは唇についた血をべろりと見せつけるように舐めてから、「ごちそうさまでした」と微笑んだ。

「はぁ…これでまた貧血で倒れたらエレンが介抱すんだからね」
「任せてくださいっ」
「なんで嬉しそうなんだよ」

 のしかかっているエレンの肩に踵を置いて、その細く人形みたいな体を足で押し返して退かした。体を起こしてみると、エレンはちゃんと先刻の宣言通り、『ちょこっと』しか吸血しなかったようで、吸血後独特の倦怠感はなかった。よくできました、と言われるのを待っているかのようにエレンはにこにこと笑んでいる。約束を守るのは当たり前だ、と思う一方でそんな彼が可愛く思えてしまって、おざなりに頭を軽く撫でてやった。
 サイドテーブルの上に広げられた採血道具一式を仕舞いながら、エレンに午後の訓練の内容について簡単に話しているときである。からん、と軽い落下音が扉の奥で聞こえたかと思うと、続けざまにがらんがらん、と更に何かが落下する音が響いた。エレンを顔を見合わせて、そうっと扉を開くと、そこにはわたしたち、否、この壁の中を生きる人間ならばほとんどが知っている、とある人物が行き倒れた様に廊下に伏していた。最初とそのあとの落下音は、どうやら彼が持っていた掃除道具の箒やバケツが地面に叩きつけられた音だったらしい。

「リヴァイ!」

 160センチの人類最強は糸が切れた人形みたいにそこにばったり倒れていた。すぐさまエレンと一緒に彼を抱き起こして部屋に招き入れる。ベッドに横たえさせると、彼の顔色が平時の数倍青白くなっていることがわかった。そしてわたしたちは、その顔色が悪い理由も分かっていた。

「おーい、リヴァイ、大丈夫?」

 ぺちぺちと白い頬を叩く。頭につけていた三角巾を取ってやり、うっすらと脂汗をかいている額を袖口で拭った。エレンは特に興味がない、みたいな顔をして、勝手にわたしの机の上に腰を預けていた。

「リヴァイ?聞こえる?」
「…うるせえ、…頭に響く」
「もー、また貧血でしょ?ハンジから輸血パック貰ったの飲まなかったの?」

 エルヴィン・スミスが地下街から引き抜いた、一個旅団並みの戦闘力を有するこの人類最強、リヴァイという男の体には、エレンと同じく吸血鬼の血が流れている。それもそこらへんの半血とはわけが違う、今の時代非常に非常に珍しい、限りなく『純血』――人間の血が混ざっていないまっさらな吸血鬼―に近い存在である。彼の圧倒的な強さ、戦闘力は無論人間のものではないのだが、民衆に与える英雄というシンボルに彼の強さはまさにぴったりだったのだ。
 そんな人類(?)最強のリヴァイなのだが、彼はエレンと正反対に、なかなか血を摂取しようとしない。半血や亜種よりも濃く吸血鬼の血が流れているために、彼らよりも吸血を必要とするはずのなのに、リヴァイはこうして貧血で倒れてしまうまでそれを行わないのだ。いつ必要となるかもわからない輸血パックの血を、自分の飢えで使ってしまうわけにはいかない、というのがリヴァイの考えだ。ああ、なんて慎ましい純血人類最強。エレンも少しはこれを見習って自重して欲しいものである。けれど調査兵団の主力であり、人類の希望でもあるリヴァイがこうも頻繁に倒れてしまってはメンツというものがたたない。エルヴィンも、生きていく上では仕方ないから消費しなさい、とリヴァイには何度も血の摂取を行わせようとするのだが、彼はかたくなにそれを拒む。好き嫌いしちゃだめだよ、なんてハンジは茶化していたが、わたしは恐らくリヴァイが人間としてあろうとしている結果なのだろうと推測する。リヴァイは優しい。人を傷つける吸血行為は決して行わないし、輸血パックの血でさえ飲むのを躊躇する。それでこうして倒れてしまうのだから、いくら優しいといってももう少し臨機応変に対応してもらいたいところだ。もちろん、それが彼の長所でもあり短所でもあると言えるのだが。

 リヴァイは真っ青な顔をしたまま、ゆっくりと瞼を引き上げた。落ち窪んだ目元は、それだけでどこか不健康そうなイメージを与える。たぶん、最後に血を摂取してから1週間は経っている。倒れてしまうのも致し方ないだろう。まったく彼は馬鹿なのか賢いのか。その頬を撫でながら、ふと笑ってしまった。

「ちゃんと飲まなきゃダメって言ったじゃん」
「…うるせ」
「そんなしょっちゅう倒れてたら生理中の女子かと思われちゃうよ」
「…」
「そうですよー、へーちょー、俺たちにはやっぱり血が必要なんですよ、血ィ飲んだあとってすげえ元気になるし」
「エレンはちょっと自重しろ」

 手持ち無沙汰気味にぷらぷらと足を揺らしていたエレンを横目で睨んで、貧血で焦点の合わないリヴァイの瞳を覗き込んだ。まだ意識はぼんやりとしているようだ。人間が貧血で倒れるのとは違って、彼らの貧血状態とはまさに血が足りない状態を言うのであって、回復するには血を摂取するしかない。仕方ないなあ、と先ほど止めたばかりのシャツのボタンを外して、首元を緩める。「あっ」とエレンが声を上げた。

「リヴァイ、いつまでもそんなんじゃ仕方ないから、ほら、飲んでいいよ」
「俺にはあんな渋ったくせに~!兵長にはホイホイあげるんですか!?」
「貧血で倒れたんだからしょうがないでしょ!大体エレンは毎日毎日会うたびに飲ませろ飲ませろ言ってるじゃん、リヴァイくらい謙虚になんなさい」
「ええ~」
「ほらリヴァイ、起きれる?」
「…いい、いらねえ」
「馬鹿、そんなんだからいっつも倒れるんだよ。別にわたしは大丈夫だよ、痛くないし、怖くもないし」

 リヴァイが吸血行為に対して何かを恐れているのは分かっていた。苦しそうに眉を顰めるくせに、与えられる餌にはありつこうとはしない。けれど輸血パックの血より、更に新鮮な血のほうが回復も早いため、わたしも引き下がらずにリヴァイを起き上がらせた。リヴァイも拒絶はしているが、こくりと喉の鳴らすのは制御できなかったようだ。いくらいらないと拒否しようと、リヴァイの体は本能的に血を求めている。それを無視することは決してできないのである。リヴァイのブルーグレーの瞳が、僅かに金色に輝いた。

「エレンはもう行っていいよ」
「はいは~い、兵長にあげすぎないでくださいね」

 エレンは渋々といった様子で机を降り、部屋を後にした。扉がぱたんと閉められる。ダメ押しで「いいよ」と言えば、とうとうリヴァイも我慢ができなくなったようで、こく、と喉を鳴らしてから乾いた唇を舐めた。エレンと同じく、その唇の間からは鋭い牙が覗く。リヴァイは最後にもう一度申し訳なさそうにこちらを見つめてから、瞼を伏せて、わたしの首元に顔を寄せた。

「うっ、」

 エレンの牙よりも、ちょっと鋭い気がする。そして流し込まれる毒の効果もエレンよりはるかに重かった。すぐに目の前が真っ白になって、体の自由が失われる。押し倒されるようにベッドに組み敷かれ、ぢゅうぢゅうと首元に開いた傷口から血を吸い上げられた。あれだけ渋っていたくせに、いざ吸血が始まってしまえばリヴァイはもう別人だった。目を爛々と黄金に輝かせて、無我夢中で首元に吸い付いている。鼻息が荒いのは、恐らく生きた人間の新鮮な血を摂取するのがかなり久方ぶりだからであろう。干からびるまで吸い尽くされたらさすがにやばい、とは思案するものの、今のリヴァイに何を言っても聞き入れてもらえない気がして、わたしは黙ってそれが終わるのを待った。涙が溢れるほどに、流し込まれる毒の快楽は強かった。必死に手の甲に噛み付いてそれらをやり過ごそうと痛みに意識を紛らわせる。最初に噛み付かれてからどれくらい経ったのか、どろどろに溶けてしまった脳みそでは認知することもできなかった。しばらくしてようやくリヴァイは顔を上げ、唇を舌で舐め上げながらわたしを見た。金色の瞳、細長い瞳孔。まるで人間とは思えない顔をしていた。そのとき、ああ、この人はやっぱり人間ではないのだな、と改めて実感させられる。リヴァイの瞳がすっとブルーグレーに戻る。噛み付いていたわたしの手を持ち上げ、悲しそうに眉を寄せた。あまりにも強く噛み付いていたせいで、わたしの手の甲にはくっきりと血が滲むほどの歯型が刻まれている。リヴァイはそれを丁寧に丁寧に舐め取ってから、「わりぃ」とわたしの頭を撫でた。

「ん、だいじょぶ、…リヴァイこそ、もう大丈夫?」
「ああ、おかげさまでぴんぴんだ」
「そう、よかった」
「起き上がれるか?」

リヴァイに手を引かれて上体を起こす。先ほどエレンに吸血されたときとは比べ物にならないほどの目眩と倦怠感を覚えた。これが純血たるものの、彼の吸血の代償なのだろう。なるほど、さすがにこれでは毎度毎度軽々しく血を提供できるものではない。リヴァイはそれがわかっているから、かたくなに吸血行為を行わなかったのだろう。すっかり顔色の良くなったリヴァイは、心配そうにわたしの背中で撫でながら、何度も何度も謝った。謝ることなど何もないのに、やっぱり彼はどこまでも優しいのだな、と思う。

「なんで謝るのさ、別に慣れてるから大丈夫だって」
「だってお前、泣いてる」
「…ああ、これ…これは、うーん、生理現象だよ」

 思い出したように目元を拭えば、まだ完全に乾ききっていない涙が袖口を濡らした。別に痛かったとか嫌だったから泣いていたわけではないのだけれど。リヴァイは相変わらず申し訳なさそうに眉間に皺を寄せていた。そのさまが三十路を超える男だというのに、何故かとてつもなく可愛らしく思えてしまって、ぷっと吹き出した。リヴァイがちらりとこちらを伺い見る。

「リヴァイが毎回倒れるほうが心配だし、兵団にとっても困るでしょ」
「…気をつける」
「是非そうして。」

 リヴァイの小さい頭がこくりと上下した。うん、やっぱりちょっと可愛い。
 

 結局貧血気味で午後の訓練にも参加できなかったわたしには、夕食にエルヴィンが特別に内地から取り寄せてくれたという豚肉のレバーをひたすらに食べまくる、という苦行が待っているのだった。